ザ!復興支援応援Blog

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ボランティア団体や被災地の事を応援している受験生のブログ(^o^)
自分の体験談や被災地に関連する事を毎日更新中* 次は冬か春にボランティアに参加予定。 今は大学生になる為に毎日資料作り中。

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こんにちは!
いよいよ明日は合否発表です。どうなってしまうのかは全く予想できませんが、決まったことなので結果をきちんと受け入れていこうと思います...!!








ここで被災地への観光客の数の話なのですが、震災の年よりもその数は圧倒的に増えてきています。

しかしそれでも震災前の半数という結果が出ているのです。




気仙沼市への観光客は、震災前の2010年は210万人でしたが、震災のあった11年は43万人と5分の1に激減してしまいました。
さらに12年には78万人と回復したものの、このように震災前と比べると半数以下になっています。

県によると、外国からの観光客も震災の影響で減少し、昨年度は、震災前の6割にとどまったそうです。





被災した建物は点在していますが、ほとんどは更地になっています。
そう思うと震災遺構がどんどん解体され、被災地へ足を運んでも平気なのかという不安も取り除かなければ、被災地観光はどうなっていってしまうのでしょうか?





その不安を取り除く為の第一歩として、被災地の観光を応援しようと今月24日には台湾からのチャーター便が宮城・仙台空港に到着しました。



チャーター便は、日本航空が復興支援の一環で運航したもので、台湾の首都・台北市から訪れた観光客約240人を伊達武将隊らが歓迎しました。
(伊達武将隊とは仙台市PR集団の事です)


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(画像が大変見にくいです)



東北の観光関係者は「震災で観光が楽しめないのではという外国人の不安を払しょくする機会にしたい」と期待を込めています。





これらの被災地観光の中で町で今人気があるのは「語り部」です。

観光ガイドのサークルの中の希望者が、当時の自宅を案内したり、震災当時の話をしてくれます。


(ただし、話題となった高校生の語り部は、同世代や外国人向けのみになっています)


地元観光関係者によれば、建物はほとんどなくなっていますが、語り部によっては自宅跡で話してくれる人、市街地にある避難道路も案内してくれる人もおり、事前予約が必要で今のところ11月まではいっぱいになっているそうです。





このようにして、岩手や宮城などは観光の対策が出来ていったとしても、福島は一方に観光客の足どりは増えません。



私の周りにも福島が実家だという友達がいるのですが、震災以前はやはり街は栄えていて観光地として有名だったそうです。

ですが放射能問題などによって、今はもう放射能量も東京とあまり変わりがないのにもかかわらず、街がゴーストタウンのようになってしまっているのが悲しいと言っていました。


このように被災地というだけで風評被害を受けている地域はまだ沢山あります。


日本の震災への意識は未だ十分に高いとは言えないと実感しました。




地域の事にもっと密着し、いいまちづくりができるよう人々は支え合って協力し、現地の人達やボランティアをされている方々、さらには政府や全国の人が目を向けていき、同じ日本の国民として、これからも復興への道に携わっていくべきだと感じます。



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最近は忘れられがちな言葉ですが...
私はこの言葉が好きです。
















がんばろう! 日本!



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こんばんは!







昨日、松山市二番町の松山ワシントンホテルプラザで、東日本大震災で犠牲者の遺体の修復に取り組んだ復元納棺師・笹原留以子さん(岩手県北上市)の講演会が開かれました。




笹原さんは震災発生の直後からボランティアで遺体安置所を回り、傷ついた顔を生前の安らかな表情に修復する作業を行ったことで知られています。




この講演会で笹原さんは、
「家族が見つけたときにかわいい姿に戻してあげたいと思ったが、身元不明の遺体であるのを理由に復元を許されず悔しい思いをした」
「命は自分だけのものではないと知り、自分の命が輝くと、他人の命も輝かせることができる」

と岩手県陸前高田市で津波で亡くなった3歳ほどの女児の遺体に出会った経験談を通して話しました。



被災地の現実や遺族の気持ちが伝わってきて、被災地に心を寄せたいと改めて感じる気持ちにさせました...と足を運んだ人達は語ったそうです。

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このように、多くの死と向き合う仕事は普通の人は精神的にも参ってしまいそうですし、人の為であってもそれを仕事にしていく事は難しいと感じます。



ですがこういうお仕事をされている方達がいるからこそ、お葬式などの儀式を行うだけでは、まだ気持ちを支えきれない、その足りない部分を補う何かを遺族の人達は得られます。

今ご遺族が求めているのは、科学的に説明できるかどうかの問題ではなく、目に見えるものや言葉なんだろうなと私は感じました。






その目に見えるものとして、

東日本大震災の世間では知られざる“真実”を描いたルポルタージュ『遺体 明日への十日間』が映画化されました。

ジャーナーリスト・石井光太氏の「遺体 震災、津波の果てに」(新潮社刊)を原作として、当時の報道では伝えきれなかった状況を描いたものとなっています。





映画祭最優秀脚本賞という受賞した君塚良一監督が映画化に向け何度も現地を訪ね、取材を重ね映画化を実現させたという努力もありました。


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ぜひ見てみたいですね!









自分の周りの人や他の人にも、今の被災地の様々な出来事を沢山知っていって欲しいので、アメブロやTwitterなどのネットワークを通じてもっと呼びかけ頑張っていきたいです(^_^)!











それでは!


















こんばんは。また一週間が始まりましたが今週も頑張りましょう!







さて26日の午前2時すぎの夜中に広い範囲で地震が発生しました。

気象庁も昨年12月以来となる津波注意報を発令し、住民は真夜中の避難を強いられたそうです。


結果的に被害は少なかったのですが、注意報の遅れや夜間の避難に判断を迷ったとの声もあり、今後の課題が浮き彫りとなりました。



私もこの地震で目が覚めてしまい、津波注意報が出ているのを見て、ふと東日本大震災の事やボランティアで訪れた気仙沼の事を思い出しました。






その気仙沼では今、津波で内陸に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」の解体作業が終わり、船底があった場所を中心に行方不明者の捜索を行っています。


共徳丸が打ち上げられた鹿折地区では、現在も住民約30人の行方が分かっていません。


知っている方も多いとは思いますが、市は教訓を伝える震災遺構として共徳丸の保存を目指したが、反対する市民が多く断念しており、9月から解体作業に入っていました。


時間の経過とともに行方不明者捜索は一層困難になっていますが、何とか手がかりを見つけたいと作業員などは掘り返した土を入念に調べている最中です。


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東日本大震災の被災地ではまだまだ未解決な問題が深刻化しています。



ですがまた新たな被災地とも言える伊豆大島の大島町では、現在台風の接近で中断していた災害ボランティアの活動が再開され...

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それと同時に伊豆大島から約500キロ離れた気仙沼大島から、復興支援の恩返しが始まるという事を聞きました。





宮城県気仙沼市の離島、気仙沼大島産の椿油を使った伊豆大島支援イベントが東京都で行われ、土砂災害を受けた伊豆大島への義援金にこれらの全額を回していく予定だという事を聞き、





このように今でも辛い状況が続く中で、同じような現状を体験している伊豆大島と東北が一致し、復興への想いが結びついた結果、協力したいという気持ちや助け合いが生まれてくるのだと感じました。








そしてこれからも被災地の方だけではなく、それ以外の人たちも自ら率先してボランティア活動に積極的に取り組んで欲しいと改めて感じました。












感謝の気持ちって本当に大切ですね。
それではおやすみなさい(^_^)!