本日のテーマ 

【問題事は自分の進化を

導いてくれる存在】

 

 

人生では、仕事や家庭、そして自分自身のことで問題事が起きるものです。

 

まず問題事が起こらないということはないでしょう。

問題事が起こるたびに、頭を抱え、悩み、苦しみ、そしてストレスを抱え込むことになります。

 

この「問題事」を、みなさんはどう考えているでしょう?

 

わたしは、問題事が起こっても、悩んだり、悔やんだり、苦しまないようにするために訓練をしてきました。

それは、「問題事をどう捉えるか」という訓練です。

 

例えば、前向きに捉えるとします。

ただ前向きに捉えるだけではまだまだ効力は出ません。

わたしの場合、実際に様々なパターンを想定してイメージトレーニングしました。

また、実際に起こった問題事に対して、どのように捉えることで効果があるかを工夫してきました。

すると、

「問題事は起こって当たり前」

という感覚になり、だからこそ、訓練して自分を強くしなければならないと気づきました。

 

わたしが参考にしたお話がありますが、そのお話をご紹介しましょう。

 

『マンガで変わる 仕事は楽しいかね?』デイル・ド-デン原作「仕事は楽しいかね?」研究会編(きこ書房)より

 

――アメリカで人気「トーク・ショー」が生まれた理由――

1950年代よりアメリカの有名なメディア・パーソナリティーとして活躍していたスティーヴ・アレンは昔、ラジオでレコードをかけたり、コメディをしたりの30分番組を担当していました。放送中、彼が面白いことを話すと、笑い声が一緒に流れてきます。実はラジオ局のスタッフが笑っていたのですが、リスナーはスタジオに観客がいると思い込んでいました。そのため、リスナーから「自分もぜひ番組に参加したい」とお願いされるようになり、アレンも頼まれれば喜んで迎えたので、いつしか番組には大勢の人が見物するようになりました。この非公式の観客のおかげで、ラジオ局はアレンの番組をもっと大きなスタジオに移し、放送時間も55分に拡大しました。しかし、ギャラは上がらない。アレンは、延長した分の台本を用意しようとせず、代わりにゲストとして招いた歌手やミュージシャンにいろんな質問をして、その時間を埋めるようにしました。ところがある晩、予定していたゲストのドリス・デイが姿を見せませんでした。そのため、空いてしまう時間を埋めるために、観客と話をすることを提案したのです。アレンは大きなフロア・マイクを観客のほうへ引きずっていき、話をはじめました。すると今まで以上に自分の話がうけるようになったことに気がつきます。そこで、彼は番組に観客へのインタビュー・コーナーを新しく設けたのです。その番組は大変な人気を博しました。

 

アレンにとっては、問題が次から次へと起こったおかげで――視聴者が番組を見に来ても観客用のスペースがなかったり、放送時間が長くなってもギャラが上らなかったり、ゲストのドリス・デイが現れなかったり――今では「トーク・ショー」として定着した型式の番組をつくり出したのです。(引用おわり)

 

(スティーヴ・アレン 1921-2000)

 

 

目の前の問題が導くままに行動した結果がこうなったのです。

もしも、問題事が起こらなかったとしたら、30分のラジオ番組のままであったかもしれませんね。

 

今のわたしは、

「問題事は自分の進化を導いてくれる存在」

だと思うようになりました。

 

 

 

 

 

本日のテーマ 

【訓練で少しずつ自分をつくる】

 

 

以前のわたしは、

 失敗した…

 間違えた…

そんなことで、

仕事に支障を出した…

人に迷惑をかけてしまった…

そんなときに、決まってやってしまっていたことがありました。

それが、‟後悔”でした。

 

あのとき、

 あんなことをしなければよかった…

 あんなことを言うべきでなかった…

 〇〇をやっていればこんなことにはならなかった…

と、後になり悔やんでいました。

 

その後に気づくのですが、

「後悔」は、自分の戒めのためには必要かもしれませんが、これからのことに対しては建設的ではありません。

それに気づいてから、「後悔」「反省」に替えることにしました。

 

【後悔】は、過去の失敗に囚われること。

【反省】は、自分のしてきたことをふり返り、改め考え、二度と同じことを繰り返さないように失敗を未来に活かすこと。

 

そう決めたのですが、その後に何かに失敗や間違いをする度に、

「あのとき、あんなことをしなければ…」

と、つい思ってしまう自分がいました。

 

そこで、後悔をしない“訓練”をすることにしました。

一時、心は後悔しても、それを反省に切り替えるように心がけました。

この訓練のお陰で、今では“後悔をしない自分”をつくることができました。

 

この成功例の延長線で“不動心”も訓練をすることにしました。

どんなことがあっても心が動かされないためです。

 

 思いもよらない悪い出来事が起きた…

 急に想定外の悪い展開になった…

 ショッキングな事が起きた…

 

こんなときは、心が乱されてしまい冷静な判断ができなくなります。

心が動揺したり、乱されたりしたときは、前に進むことができない状態に陥ります。

そこで、わたしは今後の人生をより良くするために“不動心の訓練”することにしました。

 

最初は甘く見ていて、不動心の力をつけることはできると思っていたのですが、これが難しく、どんなことがあっても心を不動でいられることはできない現実がありました。

どうするかを思案しているときに、こんな情報が入ってきました。

 

 その情報とは、“不動心の実験結果”でした。

このことがキッカケとなり、わたしは「不動心」に近づくことがでるようになりました。

それがこの実験です。

 

不動心についての実験が行われました。

修行を積んでいない若者と修行僧に、座禅をさせて脳波測定を行いました。

二人には瞑想状態になってもらい、そこに二人を驚かせるために、突然、大きな音を立てます。

すると、二人の脳波は、大きく乱れました。

なんと修行僧の脳波も乱れたのです。

しかし、その後に差がハッキリと示されることになります。

若者の脳波は、その後、いつまでも乱れ続けましたが、修行僧は、すみやかにもとの状態に戻ったのです。

不動心とは、乱され続けないことだったのです。

 

 

このことを知り、わたしの訓練はこのように変わりました。

「心を乱されないようにするのではなく、心が乱されてもすぐに冷静な自分に戻れるようにする」

 

この訓練のお陰で、訓練をする前とした後では心の乱れ方に差が出ました。

この経験から訓練の力は凄いと気づかされるのでした。

 

今、わたしが心がけていることです。

「コレだと思ったことは、今までできなかったことでも、訓練してできるようにする」

 

 

 

今後も、訓練を続けていきたいと思っています。

一つひとつできることを増やし、より良い人生を自分でつくるために……。

 

 

 

 

 

本日のテーマ 

【喜びの質】

 

 

「質」は、さまざまなところで使われています。

商品や製品の場合、そのものの良否、粗密の差を表す…

接客の場合、マニュアル通りの接客と心を込めた接客などの差を表す…

 

 

わたしは、書籍『「ひと」として大切なこと』から「喜びの質」を学びました。

元ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子氏は著書『「ひと」として大切なこと』(PHPより2005年発行)の中で、喜びの質について、マザー・テレサを例に挙げ、このように述べています。

 

(渡辺和子 1927—2016年)

 

「貧しい人々の中でもっとも貧しい人に仕える修道会をつくり、今、皆さんがご存じのようなことをしていらっしゃいます。食べるものといったら、チャパティーという野菜を中に入れたメリケン粉を焼いたもの。朝は4時半に起き、お祈りをなさって、それから、みなし子、ハンセン病、ホームレス、死にかけの人、そういう人の世話を毎日毎日していらっしゃいます。それによってなにが得られているか。お金も名誉もなにも得られない。一方、自分の体は擦り減っていくばかりです。にもかかわらず、働いている人たちの顔は喜びに溢れているのです。今、日本の国で、飽食の時代に、おいしいご馳走を食べて、毛皮のコートに身を包み、外車を乗りまわし、立派な家に住んでいる奥様に、あの喜びの顔は見られません。その方たちの笑顔というのは、マザー・テレサや、そのシスターたちの笑顔と質が違います。それこそ、どこかの豪華なパーティーに招かれた喜び、誰々さんよりもっと高価な毛皮を手に入れた喜び、外車を買え替えた喜び、子どもが東大に入学した母親としての誇りの喜び。その喜びと、マザー・テレサのシスターたちが、一人の生き倒れの人がその手の中で『ありがとう』と言って安らかに死んでいく、その顔を見ながら、『ああ、良かった、あんなに辛い思いをして生きてきた人が、死ぬ時に“ありがとう”と言って死んでくれた』『ああ、これで魂を一つ神様のもとに安らかに旅立たせることができた』と思う時の喜びと同じでないのです。またみなし子を食べさせてやって、そのお腹をすかした子が嬉しそうにパンを食べている、その姿を見て自然にほころぶシスターたちの喜びの顔、その喜びとは質が違うんですね。皆さん方もなにかの時に考えてみてください。自分の喜びは、どういう質の喜びか」

 

 

喜びとは、その人の心の質を表すような気がしました。

心がどんなことで喜ぶか……。

喜びの質は、本人が何を価値としているかで決まるのではないでしょうか。

 

「自分だけの喜びであれば、自分のことしか考えていないことになり、質の高い喜びとは、人が喜ぶことが自分の喜びとなる」

 

そのようにわたしの心は思え、

質の高い喜びを感じられる生き方に価値を感じるのでした。